去る4月11日に81歳で永眠したモンキー・パンチをしのぶ「モンキー・パンチ先生を偲ぶ会」が、本日6月14日に東京・青山葬儀所にて行われた。
晴天に恵まれた青山葬儀所。会場入り口にはR-33ナンバーのフィアットを模したバルーンアートが、記念写真の撮影スポットとして設置された。会場内にはモンキー・パンチが手がけたイラスト、また仕事風景やプライベートの写真が並ぶ。
花祭壇には、ルパン三世のイメージカラーが赤であることにちなみ、たくさんの赤いバラが。赤が引き立つようにと、バックには夜の街並みがセレクトされた。バラの中には「ルパン三世」のキャラクターパネルが配置され、祭壇の中で今まさにルパンたちの追走劇が展開されているかのよう。その様子を見守るように、モンキー・パンチの遺影が飾られた。
式典では黙祷と、モンキー・パンチの経歴紹介に続き、アニメでルパン三世役を演じる栗田貫一が弔辞を捧げる。弔辞という大役を一度は辞退したという栗田は、「24年前、先生から大切なルパン三世をお任せいただいたときも、『(自分に)ルパン三世なんてできるわけない」とお断りしたことを思い出します」と回顧。続けて「ルパン三世という大役を山田康雄さんから引き継いだときは、さまざまな方面からご批判もありました。そんなとき、先生は『なんも心配しなくていいよ』『そのままでいいんですよ』とおっしゃってくださったことを思い出します。先生に守られてきたから、今日まで続けられてきたんだと思います」と述べて、「先生の、すべてを受け入れる懐の大きさは、ルパン三世そのものでないかと思います」と話した。栗田はまた、モンキー・パンチの故郷である北海道・浜中町で行われた「ルパン三世」のイベントで、モンキー・パンチの幼なじみらと食事をした際のエピソードを紹介。「『先生の初恋の女性が、峰不二子のモデルだったんだよ。おっぱいが大きくてね、きれいな人なんだよ』って。(僕が)『先生、その人に会ってみたい』と言ったら、先生は『会わないほうがいいよ』とおっしゃっていましたね」と懐かしげに語る。最後には「これからもルパン三世を見守っていてください。モンキー・パンチ先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました」と結んだ。
続いて、日本漫画家協会理事長・里中満智子が弔辞を読み上げる。里中はモンキー・パンチと初めて出会ったときのことを「作品から受ける印象で、ルパン三世のような“ちょい悪ラテン系”だと思っていたのですが、実際はとても穏やかでにこやかで、一切のバリアもトゲもないやわらかい方で驚きました」とコメント。里中はさらに、モンキー・パンチが「もっと勉強したい」「基礎知識を学び直す」と66歳にして大学院に入学したこと、新しいデジタル機器が発売されるとすぐに入手し使いこなしていたことなど、モンキー・パンチが晩年まで勤勉だったことを紹介する。また印象に残っている出来事として、「若い人たちに創作のコツを伝えるときに、雲をヒントに語っておられたのを聞いて、感動しました。『雲は刻々と形を変える。雲をキャラクターだと思って見ていると、キャラクターの動きが見えてくる』とおっしゃって、皆の前で雲の絵を描き、それをなぞって『ルパン』の不二子ちゃんを描かれたのです。先生の描くキャラクターがずば抜けて躍動的なのは、これなのか!と納得がいきました」とエピソードを紹介。雲の上でもチャレンジを続けているであろうモンキー・パンチに、「先生、またいつかお会いしましょう。そのときに、今描いていらっしゃる作品を見せてくれるのを楽しみにしています」と呼びかけた。
3人目には、株式会社平和の相談役および公益財団法人ジュニアゴルファー育成財団理事長の石橋保彦氏が、友人代表としてお別れの言葉を述べる。石橋氏は初めてモンキー・パンチと出会ったとき、「処女作からのファンです!」と伝えた石橋氏にモンキー・パンチが「君はルパンに似てるね」と言ってくれたこと、モンキー・パンチの家族旅行に同行したときの思い出などを語った。
式典の最後にはモンキー・パンチの次男で、この日の喪主を務めた加藤州平氏が挨拶に立つ。加藤氏は「父はとても優しく家族思いの人でした。亡くなる前日が最後の会話になったのですが、支え続けた母に感謝の言葉を伝え、家族が前を向いて人生を歩んでいけるよう言葉を遺してくれました」と亡くなる直前のモンキー・パンチの様子を紹介。また「とても優しく真面目で、努力家の父ですが、生前自分の作品について『モンキー・パンチの作品には教えがない』と言っておりました」と明かし、「モンキー・パンチは自分の作品に道徳的なメッセージを入れず、誰もが気軽に楽しめる、純度100パーセントのエンターテインメントを追求していたのだと思います」と考えを示す。そして「『ルパン三世』は父が生み出し、ここにお集まりの皆様、多くのスタッフの皆様、ファンの皆様に育てられた作品です。父の追求した誰もが気軽に楽しめる作品作りに、携わっていただいた多くの皆様に、父に代わってお礼申し上げます」と感謝を述べた。
式典の後には囲み取材の場が設けられ、一部の弔問客が取材に応じた。2014年公開の実写映画「ルパン三世」で銭形幸一役を演じた浅野忠信は、役柄をイメージした衣装で会場入り。その理由を「こういう格好で来てはいけないんだろうと思っていたんですけど、やっぱり先生に会うときはできるだけ銭形警部を感じてもらえたら」と明かす。また映画の撮影当時を振り返り、「正直に言うと、最初にオファーをもらったときは次元だと思ったんです。とっつぁんだと思ってなかったので、自分の中で自信を持ちきれていない部分があったんですけど、先生に現場でお会いしたとき『とてもいいよ』と言ってくれて。本当に優しい笑顔とお言葉をいただいたので、そのあとは本当に自信を持って銭形警部を演じることができました。そのことを思い出して、改めて先生に感謝しています」と語った。
同じく実写映画でルパン三世役を演じた小栗旬は「残念です。少し体調を崩されているとは聞いていたんですけど、こんな形で会えぬままになるとは思っていなかったので……」と話し、「映画の撮影現場に遊びに来ていただいたとき、『おお、ルパンがいるじゃないか!』なんて言いながら入ってきてくれたりして……。そういう一言一言が自分にとって大切な宝物になっていますし、勇気と力をもらえました」と頷く。「また何かしらの形で先生とお会いしたかった」と述べて、「モンキー先生が作った大切なキャラクターを、一度でもやらせていただけたので、本当にそれは誇りに思っています」と挨拶した。
アニメで次元大介役を演じる小林清志は、取材陣に「お別れできましたか?」と聞かれると、「お別れ……できたと思うけど、まだまだ信じられないね」と返答。次元大介がどんな存在という質問には「またその質問か」と笑いながら、「分身みたいなもんだな。小林清志か次元大介か、そんな感じになってきたねえ。ほかの人たちが許してくれるかわかんないけど、そう思ってるよ」と述べる。次元役を長年演じ続けていることについては、「結局俺だけ残ってるんだよな。俺もがんばんなきゃな。まだまだ大丈夫だから。皆さんさえよろしければもう少しやらせてもらうから、期待しといてくれよな」と力強くコメント。また「書いてきた言葉があるので読み上げたい」とスマートフォンを取り出し、「最初に会ったときは若かったな。先生も俺も若かった。今2019年だよ。ずいぶん長いことやってきたな。それなのに俺はまだ生きて動いてんだからしぶといもんだ。先生からはいろんなことを教わりました。男の色気、男のかわいらしさ、哀愁、子供っぽさ……。なんとかわかるんだが、表現するのは難しいぞ。それをやってきたんだから大変だ、俺も。ともかく、俺より若いくせに先に逝きやがって。しょうがない先生だ。ダメだよ。ダメだよ先生。残念だ、残念だよ。ご冥福をお祈りします」と、呼びかけるように読み上げた。最後には取材陣に「次元大介と出会えて、幸せに決まってる。こう言っちゃおこがましいけど、もう次元とは離れらんないよ。次元が小林清志であり、小林清志が次元。大きなことを言っちゃったけど、そんな気持ちでやっています」と語った。
モンキー・パンチをしのびながら、心が温かくなるような食事をという主催者のはからいで、関係者式典の懇親会では「名物・ミートボールスパゲッティ」「ルパン寿司&拳銃いか握り」といった「ルパン三世」のキャラクターをモチーフにした特別料理が振る舞われた。また関係者には返礼品として、原作画クッキーの詰め合わせが、ルパンの黄色いネクタイでラッピングされ渡されている。
なお会場では本日18時まで、一般のファンからの献花を受付中。一般弔問客への返礼品には、モンキー・パンチのイラストがあしらわれたポストカードが用意された。
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2019-06-14 07:17:00Z
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